Kenji Yanobe Supporters club

現代美術家ヤノベケンジの活動情報です。(運営:KYSC)

立ち上がる子供たちの未来のために-ヤノベケンジ《サン・チャイルド》

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ヤノベケンジ:太陽の子・太郎の子」岡本太郎記念館、2011年
©2011 Kenji Yanobe

立ち上がる子供たち

《サン・チャイルド》(2011)は、東日本大震災福島第一原発事故を受け、復興・再生の願いを込めて制作された全長6.2mの巨大な子供像です。

黄色い放射能防護服を着ていますが、ヘルメットを脱いで左手に抱え、顔に傷を負い、絆創膏を貼りながらも、空を見上げて逞しく立っています。胸のガイガー・カウンターは、ゼロを表示しています(註)。

子供は未来を表しており、それらは放射能の心配のない世界を迎えた未来の姿の象徴でもあります。そして、右手に持つ「小さな太陽」は、次世代にエネルギー問題や放射能汚染が解決される「未来の希望」を象徴しています。

また、巨人ゴリアテを前に、左肩に投石袋をかけ、右手に石を持つミケランジェロの《ダビデ像》(1501―1504)のオマージュでもあります。さらに、復興のために短期間で巨大な彫刻を集団制作する方法については、運慶の《金剛力士像》を参照しています。つまり、彫刻史上でもっとも著名で力のある作品の力を引き継ぎたいというヤノベの意思の表れでもあります。

 

(註)この度の福島市での設置にあたり、衣装と胸のカウンターがゼロであることが、誤解を招くとのご意見が出ております。作者は、1991年からガイガー=ミュラー計数管を日本及び海外から取り寄せ、作品の素材として使っており、自然放射線の計測数で動く作品も多数制作しておりますので、空間線量がゼロになるという理解はしておりません。あくまで、原子力災害や核がゼロになった世界を象徴的に示しており、「ガイガー・カウンター」と簡略化して説明をしたことが誤解を招く元になっていたと反省しております。

防護服もまた、巨大な問題と闘う甲冑のようなイメージを持たせた象徴的なもので、未来に続く宇宙服のようなイメージを持たせております。作者からのこの度の設置に対する声明文が出ておりますのでご一読下さい。

http://www.yanobe.com/20180810_KenjiYanobe_Statement.pdf

 

ヤノベは、東日本大震災が起きてから、「立ち上がる人々」という声明を自身がディレクターを務める京都造形芸術大学の共通造形工房ウルトラファクトリーのブログにアップしました。そのきっかけは、毎日テレビで流される震災の映像に打ちのめされる我が子の様子でした。生きる希望を失いつつある子供の言葉にヤノベは我にかえります。

ヤノベケンジより皆様へ | 京都造形芸術大学ULTRA FACTORY

大学の学生にも動揺が広がっていました。そして、ヤノベはとにかく創る行動を起こすべきだと考え、まず全長8mの《ジャイアント・トらやん》(2005)を大学の構内に立ち上げました。体を動かし巨大なものを立ち上げることは、不安感に苛まれていた学生たちの想いを奮い立たせることになりました。同時に、復興・再生のシンボルとなるような巨大彫刻を構想し、7カ月後、「立ち上がる人々」の想いは、《サン・チャイルド》として結実したのです。

《サン・チャイルド》の右手の「小さな太陽」のデザインは、《太陽の塔》(1970)の中央の顔のデザインを引き継ぎ、最初に、ヤノベの創作の原点の地、万博記念公園の 《太陽の塔》の前に展示されました。

その後、岡本太郎記念館のTARO100祭「ヤノベケンジ:太陽の子・太郎の子」展に出品されました。同時期に、2体目が作られ、後にモスクワやイスラエルの展覧会に出品されます。3体目は2012年に制作され、ヤノベの故郷である大阪府茨木市に恒久設置されました。

《サン・チャイルド》は、世界各国・日本各地で巡回され、震災翌年の「福島現代美術ビエンナーレ2012」では、多くの賛同者、支援者の協力を得て福島空港に設置され、会期を大幅に延長して展示されました。

 

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万博記念公園、2011年

©2011 Kenji Yanobe

チェルノブイリへの探訪と挫折

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《アトムスーツ・プロジェクト:チェルノブイリ》 (1997)

©1997 Kenji Yanobe

《サン・チャイルド》が誕生する前から、放射能はヤノベにとって大きなモチーフでした。ヤノベが、1997年に開始した《アトムスーツ・プロジェクト》は、原発事故後のチェルノブイリなどに探訪するプロジェクトです。《アトムスーツ》とは、眼や胸、腹部、生殖器など、人体にとって重要な箇所に放射線を検知するガイガー・カウンターが取り付け、鉄や厚いビニールで作られた放射能防護服です。放射線を検知すると閃光と、胸に付けているカウンターに反映されます。

ヤノベは、このスーツを人間が創り出した放射線だけではなく、宇宙線も含めた自然放射線を検知することで、知覚を拡張するスーツとして、「放射線感知服」であるとしています。そして、原子力(後に核融合)で動く『鉄腕アトム』のオマージュも含めて、「アトムスーツ」と命名しました。

《アトムスーツ・プロジェクト》は、阪神・淡路大震災や同世代が起こした地下鉄サリン事件を機会に、サブカルチャー、ポップ・カルチャーに育まれた幻想・妄想と現実との断絶を、自身の創作と身体を介して解消することも目的でした。

強固だと思っていた現代都市が一瞬にして壊滅してこと。サブカルチャーに影響を受けた妄想が自作自演によって破滅的な事件を起こしたこと-。当時、この大きな2つの事件にショックを受けながらも、当時ベルリンにいたヤノベにとっては、リアリティを感じることができなかったのです。

そのため、一歩間違えば自分も同じかもしれないという恐怖を感じ、自身の肥大化した妄想と喪失したリアリティを埋めなければならないという衝動にかられていました。そして、1990年にデビューし、「サヴァイヴァル」をテーマに作り続けていた彫刻が、妄想ではなく実際に機能するかどうかを自身で確かめること。さらに幼少期に大阪万博跡地の解体現場で見た「未来の廃墟」への時間旅行を再現したいという想いもありました。

そして、2年近い準備期間を経て、ヤノベとフォトジャーナリスト、ガイドの3人で、ZONEと言われる30㎞圏内の立入禁止区域に入りました。チェルノブイリ原発や廃墟となった街や遊園地、保育園などを訪ねた後、想定していなかった住人たちと会うことになります。住み慣れた故郷を離れたくない、サマショールと言われる自主的帰省者がいたのです。

遠くから変な格好をして自分たちを馬鹿にしてきたのかと罵られることもありましたが、温かく迎えてくれる人々もいました。そして、老人が多い中で、離婚して実家に戻らざるを得なくなった母親に連れられてきた3歳の子供に出会います。これらの原発事故が引き起こした厳しい現実を目の当たりにし、自分の中の妄想と現実との乖離はさらに決定的となりました。

そして、自身の芸術表現に被災者である人々を利用し傷つけたかもしれないという後悔と懺悔、贖罪意識を背負うことになります。その後、放射能に対する警鐘としての作品を作る中で、自身の再生を図ることになっていきます。

 

立ち上がる彫刻

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《ビバ・リバ・プロジェクト:スタンダ 》(2001)

©2001 Kenji Yanobe

 

ヤノベの彫刻作品にとって、「立ち上がる」という行為は、重要な意味を持ちます。ヤノベは21世紀になり、終末思想の色濃かった世紀末が過ぎたこと、自身に子供が生まれたことなどにより、創作のテーマを「サヴァイヴァル」から「リヴァイヴァル(再生)」に変えていました。

2001年、ヤノベは、自身の子供がつかまり立ちをする時期に、《スタンダ》という作品を発表します。ガイガー・カウンターで放射線を一定数検知すると、ひれ伏していた3mの巨大な幼児像が、自ら重い頭を上げて立ち上がります。その時、視線の先にある「太陽」の彫刻の口からは祝福の証として虹色に輝くシャボン玉が吹き出る仕組みになっています。

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《アトムスーツ・プロジェクト:保育園4・チェルノブイリ》(1997/2003)

©1997/ 2003 Kenji Yanobe

《スタンダ》は、廃墟となったチェルノブイリの保育園の中に落ちていた人形がモデルになっています。ヤノベが《アトムスーツ》を着て、人形を拾い上げる写真が《アトムスーツ・プロジェクト:保育園4・チェルノブイリ》(1997/2003)という作品になっています。実は、ヤノベがチェルノブイリの写真を整理していた時、背後の壁面に太陽が描かれていたことに気付くのです。そして、《スタンダ》の「太陽」にはチェルノブイリの保育園の壁面のデザインを採用し、命の「再生」の意味も込めました。それは2体目の《サン・チャイルド》の「小さな太陽」にも使われています。

そもそも重力に逆らって、立ち上げることは、彫刻の基本ともいえます。また、二足で立つことは、人間の成長と同時に、人類の進化の大きなステップでもあるという象徴的な意味があります。

作品は「Stand Up」の発音を模した日本語表記から《ビバ・リバ・プロジェクト:スタンダ》(2001)と命名されました。ヤノベは、自身の子供が立つこと、彫刻が立ち上がること、自身が立ち上がり再生していくことを重ねたのです。《スタンダ》は、「サヴァイヴァル」から「リヴァイヴァル」へとテーマを移行し、チェルノブイリの経験が昇華され、明確な表現となった記念碑的作品となったのです。

 

警鐘を越えて

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「胸騒ぎの夏休み」福島県立美術館、2010年

©2010 Kenji Yanobe

東日本大震災後、ヤノベは作品の姿勢を、外部から批評するような従来の現代アートの表現から踏み込んで、内部のコミュニティに入り込み実際に現実を変えるようなアプローチを開始します。具体的な実践を伴わないと、震災後の切実な状況においては、アートも説得力を持たないと感じたのです。ただし、それは形をとらないアートではなく、明確な形を持つ彫刻という古典的ともいえる表現を通して実践していきます。

実は、前年の2010年の夏にヤノベは、2つの展覧会を開催します。富山の水力発電所を改修した発電所美術館では、創世記をテーマに会期を4つに分けて、4章立ての展覧会を構成しました。その際、「大洪水」をテーマに、ガイガー・カウンターが放射線を一定数カウントすると、巨大な水瓶に入った9トンもの水が、一気に反転し大洪水を起こすのです。

また、福島県立美術館では、第五福竜丸事件をテーマにしたベン・シャーンの展示とともに、同じく第五福竜丸をモチーフにした、船に乗せる巨大な竜の彫刻作品《ラッキードラゴン》を中心にしたインスタレーションを展示します。

図らずも2010年の2つの展覧会は、翌年に起こる東日本大震災福島第一原発事故を予言するかのようなものとなります。しかし、同時にヤノベはチェルノブイリ以降の警鐘的作品が何の役にも立たなかったという絶望感に苛まれることになりました。そして、前向きになれるような作品を作ることで人々に勇気と希望を与え、具体的に現実を好転するような作品制作を志向するようになっていきます。

その際、ヤノベは「恥ずかしいほどポジティブ」と表現しました。逆に言えば、極端に前向きにならないと、心が折れてしまいそうな状況にあったと言えるでしょう。

 

寄り添う希望のモニュメント

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「福島現代美術ビエンナーレ2012」福島空港、2012年

©2012 Kenji Yanobe

そんな想いの中から生まれたのが《サン・チャイルド》でした。《サン・チャイルド》は、それらの想いが凝縮しているがゆえに、彫刻の原点ともいえる力強さを備えています。巨大な立ち上がる像を見上げるだけで、人々は希望を感じます。《サン・チャイルド》が上を向いて足は踏ん張っているように、人々も上を見上げるのです。極限の中でこそ生まれた彫刻は、意味やメッセージの説明をしなくとも、前向きなパワーを感じると思います。

しかし、2012年に「福島現代美術ビエンナーレ」に出展要請されたヤノベは、逡巡します。前向きなメッセージを持っていても、放射能防護服がデザインされていることに、地元の人々は抵抗感を感じるかもしれないからです。しかし、事務局の資金難を助けるために、当時はまだまだ珍しかったクラウドファンディングによって輸送費を募った際、福島の人々からの支援も多く、後押しされる形で、福島空港に展示することになります。そして、地元の新聞やNHKの国際放送などの取材を受ける中で、福島から発信していくことの重要性を悟ります。

その後、「福島現代美術ビエンナーレ」や「重陽の芸術祭」に継続的に参加し、福島の人々と継続的に交流を図ってきました。そして、福島の地域発電会社内にあるギャラリー・オフグリットで開催された「FUKUSHIMA WORKS」展の際に請われて、最もイメージが凝縮された1/10の構想模型を寄贈したことをきっかけに、1体目の《サン・チャイルド》も福島に寄贈することを決めました。

2011年に福島を想って作り、2012年に福島で展示され、その後、世界・日本各地で展示されてきた《サン・チャイルド》は多くの人々に知られるようになりました。ただ、7年が過ぎ、忘れ去られていく過去に対して記憶を留めることや、未来に対して希望を持ち続けるメッセージが今こそ必要であると考えたからです。

それは、今まで《サン・チャイルド》と旅する中で、力強く立つ巨大な子供像が、前向きで根源的なエネルギーを人々に与えることを改めて実感したからでもあります。最近では、《サン・チャイルド》の衣装も、宇宙服のような近未来のイメージを持つ人々も増えてきており、過去の記憶とともに、人々のイメージが新たな《サン・チャイルド》を作っていくでしょう。

そして、福島の再生をいつまでも見守る、寄り添う存在として、《サン・チャイルド》が人々の希望のモニュメントとなることを願っているのです。