Kenji Yanobe Supporters club

現代美術家ヤノベケンジの活動情報です。(運営:KYSC)

忘れない力と繋げる力―《サン・チャイルド》と《フローラ》  

https://www.nttud.co.jp/news/pdf/news_180326_02.pdf

www.hibiya.tokyo-midtown.com

 

ヤノベケンジ作品の大集結

4月26日からグランフロント大阪の5周年記念として、ヤノベケンジの複数の巨大彫刻作品が展示され、同日、東京ミッドタウン日比谷のオープニングイベントとして《フローラ》が展示される。

グランフロント大阪では、《サン・チャイルド》(2011)に加え、90年代の名作《アトム・カー》(1998)、2000年代の代表的シリーズ《青い森の映画館》(2006)、最大サイズの作品、全長8mの《ジャイアント・トらやん》(2005)、人工雷を発生させる《ウルトラ-黒い太陽 》(2008)、2010年代震災後、福島県飯舘村の市民電力会社のために構想された風力発電機《風神の塔》(2015)、そして、最新シリーズである旅をして福を運ぶ巨大猫《シップス・キャット(ブラック)》(2017)という、90年代から2010年代までのヤノベ作品が大集結することになる。

 

他方、日比谷では、鹿鳴館や帝国ホテル、日本劇場、帝国劇場など、日本における西洋化とエンターテインメントを牽引した由緒ある地域で、再び新たな発信源を目指す東京ミッドタウン日比谷のオープニングを記念して、宮本亜門演出による野外劇が行われる。その劇中で巨大少女像である《フローラ》(2015)はシンボルの役割を担う。《フローラ》には、新たな装飾と回転システムが加えられ、巨大な少女が円舞するかつてない演出が行われる。これらのヤノベケンジの代表作が大阪と東京の中心部で展示される意義は大きい。

 

《サン・チャイルド》の歴史

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南茨木駅前の《サン・チャイルド》

(C)2012 Kenji Yanobe

《サン・チャイルド》は、東日本大震災福島第一原発事故を受けて、復興再生の願いを込めて2011年に制作された巨大な子供像である。黄色い放射能防護服を着て、胸にはガイガーカウンターを付け、ヘルメットを左手に抱えている。防護服がかつてないほど頻繁にメディアに登場した時期の作品である。

しかし、ヘルメットは脱がれ、顔に傷を負いながらも逞しく立ち、胸に付けているガイガーカウンターはゼロになっている。つまり、ここで設定されているのは、2011年時点での状況ではない。放射能汚染から安全な大気を取り戻した未来の姿なのである。子供の姿をしているのは、未来を表しているからでもある。

そして、右手に持つ「小さな太陽」は、希望のメタファーでもあるし、原子力ではない、新しいエネルギーのメタファーとも読み取れる。つまり、《サン・チャイルド》は受難(現在)と克服(未来)の二つの意味を持つ像といえる。ヤノベは、2011年に自らと自身が教える学生たちを奮い立たせ、未来に対して前向きで強い希望のメッセージを打ち出すために《サン・チャイルド》を制作したのだ。

ヤノベの90年代の代表作《アトムスーツ・プロジェクト》は、原発事故後のチェルノブイリなどに《アトムスーツ》を着用して探訪するものであった。《アトムスーツ》は、黄色い放射能防護服に眼、生殖器、胸などにガイガーカウンターを取り付け、不可視の放射線を検知する機能を持っており、感覚を拡張する意味合いも込め「放射能感知服」と名付けられていた。しかし、人が住んでいないはずの原発から30k圏内の立入禁止区域で、自主的帰還者の老人、さらに離婚してやむを得ず戻って来た3歳の子供に出会うことになる。

ヤノベは、そこで表現活動に人々を利用したような罪悪感と非情な現実に打ちのめされる。そして、贖罪意識を抱えて未来の危機を警鐘する作品を作るようなる。しかし、3.11によって、自分の生まれ育った国で、同じ過ちが繰り返されることになる。《サン・チャイルド》は自身の警鐘的表現の無力さと、予知的な形で現実になったことへの反省から、希望ある未来を込めるようになった転換期の作品でもある。

また、《サン・チャイルド》は、ミケランジェロダビデ像を参照しており、巨人ゴリアテ相手に戦う、少年ダビデが、左肩に投石袋をかけ、右手に石を持っている姿と重ねてもいる。ダビデは、未来の子供たちであり、石は希望、ゴリアテは巨大なエネルギーを巡る人間の欲望や権力構造ともいえる。また、6.2mという高さや寄木造のような作り方を考えると、ヤノベが尊敬する運慶の金剛力士像ともいえるだろう。つまり、ミケランジェロと運慶という二人の偉大な彫刻家のオマージュにもなっているのだ。

 

ヤノベは、2011年に1体目の《サン・チャイルド》を制作。「太陽の塔」の前や岡本太郎記念館第五福竜丸展示館に展示された。1体目の手の太陽の形は、自身の創作の原点の場ともいえる「太陽の塔」の顔が参照されている。岡本太郎の「太陽の塔」や「明日の神話」の精神を引き継ごうという意思の表れでもある。

2体目も2011年に制作され、ロシアやイスラエルの美術館、あいちトリエンナーレなどにも出品された。2体目の手の太陽の形は、チェルノブイリの廃墟の保育園の壁に描かれていた太陽が参照されている。
2012年に制作された3対目は、南茨木駅前のロータリーに恒久設置され、パブリックアートとなった。

1体目の《サン・チャイルド》は、2012年の福島現代美術ビエンナーレに招聘され、資金難の事務局を支援するために、独自システムでクラウドファンディングを行い輸送費を調達。約180人のサポーターに、謝礼として1枚ずつドローイングを描いて郵送している。

ヤノベは、震災・原発事故間もない福島に展示することは、市民感情を傷つけるのではないかと懸念したが、福島の人々を含む多くのサポーターが現れたことで、《サン・チャイルド》がよりパブリックなものになっていく過程を体験することになった。そして、福島で開催されたヤノベの展覧会「FUKUSHIMA WORKS」(ギャラリー・オフグリッド)を機に、《サン・チャイルド》の雛形となった1/10のプロトタイプが地元団体の要望を受け寄贈された。後に1体目の《サン・チャイルド 》も、地元から自然エネルギーを作るというふくしま自然エネルギー基金の志に共感したヤノベの申し出によって寄贈されることになった。

 

《サン・チャイルド》は、世界と日本各地を巡回しており、プロジェクトは放射能の不安がなくなった世界が訪れるまで何らかの形で継続される。震災から5年が過ぎ、6年目を迎え、そろそろ人々の記憶や関心も薄まり始めている。忘却した方がいい記憶は多い。しかし、忘却してはならない社会的な記憶は必ずある。悲劇的な出来事や過ちなどはその例であろう。

《サン・チャイルド》は、展示を継続することで、忘れそうになる社会の記憶を蘇らせる効果がある。都心部の多くの人々が目にする場所に置かれることによる効果はさらに大きいといえる。そういう意味では、ヤノベは人々の記憶を彫刻し続けているといえるのかもしれない。

 

《フローラ》の歴史

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初代《サン・シスター》(2014)
(C)2014 Kenji Yanobe

 

《フローラ》は、《サン・チャイルド》の姉のような存在として作られた《サン・シスター》の衣装が変わった姿である。姉というのは、《サン・チャイルド》よりも成長した姿で、放射能防護服などは来ておらず、希望の世界の到来を告げる少女像ということである。

初代《サン・シスター》は、座りながら希望ある未来を思い描いて瞑想し、立ち上がるとともに、眼を開けて手を拡げ、希望の世界の到来を告げる。その後2015年、阪神淡路大震災20年のモニュメントとして、右手に輝く太陽を持った同名の立像《サン・シスター》が制作され、兵庫県立美術館前に恒久設置された。

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兵庫県立美術館前の《サン・シスター》(2015)
(C)2014 Kenji Yanobe

一方、初代《サン・シスター》は、2015年、琳派400年祭に合わせて京都府立植物園で開催された「PANTHEON-神々の饗宴―」で、アーティスト・アートディレクターの増田セバスチャンとコラボレーションして新たな装飾が加えられ、生態系を象徴する姿として、花の女神《フローラ》に生まれ変わった。また、左側には、人工雷発生装置テスラコイルを内蔵した、《ウルトラー黒い太陽》を《雷神ー黒い太陽》として設置し、右側には、飯舘村の市民電力会社のために構想した《IITATE Monster Tower》を、《風神の塔》として設置した。

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《フローラ》(2015)
(C)2015 Kenji Yanobe

 

つまり、琳派継承のシンボル的作品である『風神雷神図』を立体化するという試みであった。中央に置かれた《フローラ》は、元々、琳派の始祖的存在でもある俵屋宗達三十三間堂の「風神・雷神像」を参考にしたという説から、中央の金箔の余白は、1000体もの観音像の後光の隠喩と捉え、隠された観音像を立体化するという意図もあった。

三十三間堂は、慶派・円派・院派など、当時一流の仏師集団が参加しており、日本彫刻史の中でも最高峰の作品群でもある。つまり、琳派の平面絵画を立体にするというだけではなく、琳派を通じて慶派などにもつながる作品として展開されたのだ。その後、《フローラ》もまた、福島や高松などでも展示され好評を得る。

今回は、文明開化のシンボルであった「鹿鳴館に憧れる少女」という、宮本亜門氏のインスピレーションを受け、「日比谷から文明が開花する」という意味と、「新たな希望に目覚める」という想いが《フローラ》に込められ、再び新たな装飾をまとう。

 

 「フローラ」は、ローマ神話の女神の名前でもあり、ヤノベはボッティチェリの《プリマヴェーラ》に描かれたフローラを参照している。ギリシア神話の樹木のニンフ(精霊)のクロ―リスは、西風の神ゼピュロスにさらわれて結婚し、花と春を司る女神となったとされており、ローマ神話に登場する花の女神フローラと同一視されている。ボッティチェリの《プリマヴェーラ》は、古代ローマの詩人オウィディウスの『祭暦』に記されているこの物語の影響を受けている。

精霊クロ―リスが女神フローラになる物語は、西洋列強(西風)によって開国(開花)を迫られた日本が、先進国(神)の仲間入りをした歴史に重なっていることが興味深い。西洋化、近代化に飲み込まれそうになった日本が、急速に西洋化、近代化を進め、西洋列強と渡り合った時代から、科学文明やグローバリズムと環境の相克を経て、持続可能な時代に向けて開花する希望が、ヤノベが新たな《フローラ》に込めたメッセージとなっているのだ。