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ラッキードラゴンの復活「水都大阪2015」

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 撮影:塚正玲子

minami-fes.jp

水都大阪2009」とラッキードラゴン


《ラッキードラゴン》は、2009年に「水の都」の再生を目的に、官民一体の都市型博覧会として開催された「水都大阪2009」において、大阪の河川を泳ぎ回り、福を呼ぶドラゴンとして制作されました。そして、船舶の上に銀色のドラゴンを乗せ、中之島や道頓堀、木津川河口などを巡航しました。さらに、長い首を上下に昇降しながら、時に火炎を噴いたり、水は吐いたりするパフォーマンスを行い、沿岸にいた人々に注目されるとともに、多くのメディアに取り上げられ大いに話題となりました。

 

ラッキードラゴンの由来

《ラッキードラゴン》が制作された直接的なきっかけは「水都大阪2009」ですが、それ以前から《ラッキードラゴン》の構想は始まっていました。というのも、《ラッキードラゴン》の名前は、「第五福竜丸」に由来しているのです。「第五福竜丸」とは、1954年にビキニ沖環礁でアメリカの水爆実験で被曝した、遠洋マグロ漁船の名前です。

ヤノベケンジは自作の放射能防護服《アトムスーツ》を来て、チェルノブイリを訪問する「アトムスーツ・プロジェクト」を敢行しており、それ以降も核と対峙しながら、作品を制作してきました。

その縁もあり、2003年に国立国際美術館で大規模個展「MEGALOMANIA」を開催した頃より、第五福竜丸が展示されている、都立第五福竜丸展示館の館長から作品展示の依頼を受けていました。そして、2004年に都立第五福竜丸展示館で開催された「コラブシンク・ヒストリー」展に、子供用の核シェルターとなる作品「森の映画館」を出品しています。

 

3.11とラッキードラゴン


その後、《ラッキードラゴン》は、船舶と切り離された形で、2010年に福島県立美術館で開催された「胸騒ぎの夏休み」展に出品されます。ご存知のようにその後の2011年3月11日に東日本大震災福島第一原発事故が起こりました。福島県立美術館は約1ヶ月、休館となりましたが、4月に再オープンする際に、《ラッキードラゴン》の構想段階の模型、《ラッキードラゴン構想模型》を常設展示し、2011年の夏には放射能汚染によって野外活動が制限された子供たちのために、船型の構想模型に日本中から人形を集めて乗組員として乗せ、子供たちと一緒に人形にバルーンをつけて空に飛ばすワークショップ「トらやんの空飛ぶ箱船大作戦」を行いました。
2012年には、「建造65周年記念 第五福竜丸からラッキードラゴンへ―核なき世界へ航海を―」展に、復興・再生のモニュメントである子供像《サン・チャイルド》や水都大阪2009をテーマにした絵本『トらやんの世界 ラッキードラゴンのおはなし』から、ラッキードラゴンの絵を、第五福竜丸の甲板に展示したりしました。

 

再び水都大阪へ


船舶から切り離された《ラッキードラゴン》は、なにわの海の時空館で、2011年から2013年の間「ラッキードラゴン リターンズ」として展示されていました。しかし、なにわの海の時空館の閉鎖に伴い、おおさか創造千島財団の巨大アート作品の収蔵庫兼展示施設、MASK (MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)に収納されていました。そして、この度、一本松海運株式会社の尽力により、「水都大阪2015」において、6年ぶりに船舶として復活することになりました。
《ラッキードラゴン》は、震災を経て、河川を泳ぐだけではなく、地震原発事故を鎮め、水の安全を取り戻す祈りが込められています。再び福を呼ぶドラゴンとなり水都大阪が復活し、活性化することを願っています。

 

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 撮影:塚正玲子

 

参考文献

 

ヤノベケンジ ULTRA

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