Kenji Yanobe Supporters club

現代美術家ヤノベケンジの活動情報です。(運営:KYSC)

立ち上がる子供たちの未来のために-ヤノベケンジ《サン・チャイルド》

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ヤノベケンジ:太陽の子・太郎の子」岡本太郎記念館、2011年
©2011 Kenji Yanobe

立ち上がる子供たち

《サン・チャイルド》(2011)は、東日本大震災福島第一原発事故を受け、復興・再生の願いを込めて制作された全長6.2mの巨大な子供像です。

黄色い放射能防護服を着ていますが、ヘルメットを脱いで左手に抱え、顔に傷を負い、絆創膏を貼りながらも、空を見上げて逞しく立っています。胸のガイガー・カウンターは、ゼロを表示しています(註)。

子供は未来を表しており、それらは放射能の心配のない世界を迎えた未来の姿の象徴でもあります。そして、右手に持つ「小さな太陽」は、次世代にエネルギー問題や放射能汚染が解決される「未来の希望」を象徴しています。

また、巨人ゴリアテを前に、左肩に投石袋をかけ、右手に石を持つミケランジェロの《ダビデ像》(1501―1504)のオマージュでもあります。さらに、復興のために短期間で巨大な彫刻を集団制作する方法については、運慶の《金剛力士像》を参照しています。つまり、彫刻史上でもっとも著名で力のある作品の力を引き継ぎたいというヤノベの意思の表れでもあります。

 

(註)この度の福島市での設置にあたり、衣装と胸のカウンターがゼロであることが、誤解を招くとのご意見が出ております。作者は、1991年からガイガー=ミュラー計数管を日本及び海外から取り寄せ、作品の素材として使っており、自然放射線の計測数で動く作品も多数制作しておりますので、空間線量がゼロになるという理解はしておりません。あくまで、原子力災害や核がゼロになった世界を象徴的に示しており、「ガイガー・カウンター」と簡略化して説明をしたことが誤解を招く元になっていたと反省しております。

防護服もまた、巨大な問題と闘う甲冑のようなイメージを持たせた象徴的なもので、未来に続く宇宙服のようなイメージを持たせております。作者からのこの度の設置に対する声明文が出ておりますのでご一読下さい。

http://www.yanobe.com/20180810_KenjiYanobe_Statement.pdf

 

ヤノベは、東日本大震災が起きてから、「立ち上がる人々」という声明を自身がディレクターを務める京都造形芸術大学の共通造形工房ウルトラファクトリーのブログにアップしました。そのきっかけは、毎日テレビで流される震災の映像に打ちのめされる我が子の様子でした。生きる希望を失いつつある子供の言葉にヤノベは我にかえります。

ヤノベケンジより皆様へ | 京都造形芸術大学ULTRA FACTORY

大学の学生にも動揺が広がっていました。そして、ヤノベはとにかく創る行動を起こすべきだと考え、まず全長8mの《ジャイアント・トらやん》(2005)を大学の構内に立ち上げました。体を動かし巨大なものを立ち上げることは、不安感に苛まれていた学生たちの想いを奮い立たせることになりました。同時に、復興・再生のシンボルとなるような巨大彫刻を構想し、7カ月後、「立ち上がる人々」の想いは、《サン・チャイルド》として結実したのです。

《サン・チャイルド》の右手の「小さな太陽」のデザインは、《太陽の塔》(1970)の中央の顔のデザインを引き継ぎ、最初に、ヤノベの創作の原点の地、万博記念公園の 《太陽の塔》の前に展示されました。

その後、岡本太郎記念館のTARO100祭「ヤノベケンジ:太陽の子・太郎の子」展に出品されました。同時期に、2体目が作られ、後にモスクワやイスラエルの展覧会に出品されます。3体目は2012年に制作され、ヤノベの故郷である大阪府茨木市に恒久設置されました。

《サン・チャイルド》は、世界各国・日本各地で巡回され、震災翌年の「福島現代美術ビエンナーレ2012」では、多くの賛同者、支援者の協力を得て福島空港に設置され、会期を大幅に延長して展示されました。

 

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万博記念公園、2011年

©2011 Kenji Yanobe

チェルノブイリへの探訪と挫折

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《アトムスーツ・プロジェクト:チェルノブイリ》 (1997)

©1997 Kenji Yanobe

《サン・チャイルド》が誕生する前から、放射能はヤノベにとって大きなモチーフでした。ヤノベが、1997年に開始した《アトムスーツ・プロジェクト》は、原発事故後のチェルノブイリなどに探訪するプロジェクトです。《アトムスーツ》とは、眼や胸、腹部、生殖器など、人体にとって重要な箇所に放射線を検知するガイガー・カウンターが取り付け、鉄や厚いビニールで作られた放射能防護服です。放射線を検知すると閃光と、胸に付けているカウンターに反映されます。

ヤノベは、このスーツを人間が創り出した放射線だけではなく、宇宙線も含めた自然放射線を検知することで、知覚を拡張するスーツとして、「放射線感知服」であるとしています。そして、原子力(後に核融合)で動く『鉄腕アトム』のオマージュも含めて、「アトムスーツ」と命名しました。

《アトムスーツ・プロジェクト》は、阪神・淡路大震災や同世代が起こした地下鉄サリン事件を機会に、サブカルチャー、ポップ・カルチャーに育まれた幻想・妄想と現実との断絶を、自身の創作と身体を介して解消することも目的でした。

強固だと思っていた現代都市が一瞬にして壊滅してこと。サブカルチャーに影響を受けた妄想が自作自演によって破滅的な事件を起こしたこと-。当時、この大きな2つの事件にショックを受けながらも、当時ベルリンにいたヤノベにとっては、リアリティを感じることができなかったのです。

そのため、一歩間違えば自分も同じかもしれないという恐怖を感じ、自身の肥大化した妄想と喪失したリアリティを埋めなければならないという衝動にかられていました。そして、1990年にデビューし、「サヴァイヴァル」をテーマに作り続けていた彫刻が、妄想ではなく実際に機能するかどうかを自身で確かめること。さらに幼少期に大阪万博跡地の解体現場で見た「未来の廃墟」への時間旅行を再現したいという想いもありました。

そして、2年近い準備期間を経て、ヤノベとフォトジャーナリスト、ガイドの3人で、ZONEと言われる30㎞圏内の立入禁止区域に入りました。チェルノブイリ原発や廃墟となった街や遊園地、保育園などを訪ねた後、想定していなかった住人たちと会うことになります。住み慣れた故郷を離れたくない、サマショールと言われる自主的帰省者がいたのです。

遠くから変な格好をして自分たちを馬鹿にしてきたのかと罵られることもありましたが、温かく迎えてくれる人々もいました。そして、老人が多い中で、離婚して実家に戻らざるを得なくなった母親に連れられてきた3歳の子供に出会います。これらの原発事故が引き起こした厳しい現実を目の当たりにし、自分の中の妄想と現実との乖離はさらに決定的となりました。

そして、自身の芸術表現に被災者である人々を利用し傷つけたかもしれないという後悔と懺悔、贖罪意識を背負うことになります。その後、放射能に対する警鐘としての作品を作る中で、自身の再生を図ることになっていきます。

 

立ち上がる彫刻

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《ビバ・リバ・プロジェクト:スタンダ 》(2001)

©2001 Kenji Yanobe

 

ヤノベの彫刻作品にとって、「立ち上がる」という行為は、重要な意味を持ちます。ヤノベは21世紀になり、終末思想の色濃かった世紀末が過ぎたこと、自身に子供が生まれたことなどにより、創作のテーマを「サヴァイヴァル」から「リヴァイヴァル(再生)」に変えていました。

2001年、ヤノベは、自身の子供がつかまり立ちをする時期に、《スタンダ》という作品を発表します。ガイガー・カウンターで放射線を一定数検知すると、ひれ伏していた3mの巨大な幼児像が、自ら重い頭を上げて立ち上がります。その時、視線の先にある「太陽」の彫刻の口からは祝福の証として虹色に輝くシャボン玉が吹き出る仕組みになっています。

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《アトムスーツ・プロジェクト:保育園4・チェルノブイリ》(1997/2003)

©1997/ 2003 Kenji Yanobe

《スタンダ》は、廃墟となったチェルノブイリの保育園の中に落ちていた人形がモデルになっています。ヤノベが《アトムスーツ》を着て、人形を拾い上げる写真が《アトムスーツ・プロジェクト:保育園4・チェルノブイリ》(1997/2003)という作品になっています。実は、ヤノベがチェルノブイリの写真を整理していた時、背後の壁面に太陽が描かれていたことに気付くのです。そして、《スタンダ》の「太陽」にはチェルノブイリの保育園の壁面のデザインを採用し、命の「再生」の意味も込めました。それは2体目の《サン・チャイルド》の「小さな太陽」にも使われています。

そもそも重力に逆らって、立ち上げることは、彫刻の基本ともいえます。また、二足で立つことは、人間の成長と同時に、人類の進化の大きなステップでもあるという象徴的な意味があります。

作品は「Stand Up」の発音を模した日本語表記から《ビバ・リバ・プロジェクト:スタンダ》(2001)と命名されました。ヤノベは、自身の子供が立つこと、彫刻が立ち上がること、自身が立ち上がり再生していくことを重ねたのです。《スタンダ》は、「サヴァイヴァル」から「リヴァイヴァル」へとテーマを移行し、チェルノブイリの経験が昇華され、明確な表現となった記念碑的作品となったのです。

 

警鐘を越えて

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「胸騒ぎの夏休み」福島県立美術館、2010年

©2010 Kenji Yanobe

東日本大震災後、ヤノベは作品の姿勢を、外部から批評するような従来の現代アートの表現から踏み込んで、内部のコミュニティに入り込み実際に現実を変えるようなアプローチを開始します。具体的な実践を伴わないと、震災後の切実な状況においては、アートも説得力を持たないと感じたのです。ただし、それは形をとらないアートではなく、明確な形を持つ彫刻という古典的ともいえる表現を通して実践していきます。

実は、前年の2010年の夏にヤノベは、2つの展覧会を開催します。富山の水力発電所を改修した発電所美術館では、創世記をテーマに会期を4つに分けて、4章立ての展覧会を構成しました。その際、「大洪水」をテーマに、ガイガー・カウンターが放射線を一定数カウントすると、巨大な水瓶に入った9トンもの水が、一気に反転し大洪水を起こすのです。

また、福島県立美術館では、第五福竜丸事件をテーマにしたベン・シャーンの展示とともに、同じく第五福竜丸をモチーフにした、船に乗せる巨大な竜の彫刻作品《ラッキードラゴン》を中心にしたインスタレーションを展示します。

図らずも2010年の2つの展覧会は、翌年に起こる東日本大震災福島第一原発事故を予言するかのようなものとなります。しかし、同時にヤノベはチェルノブイリ以降の警鐘的作品が何の役にも立たなかったという絶望感に苛まれることになりました。そして、前向きになれるような作品を作ることで人々に勇気と希望を与え、具体的に現実を好転するような作品制作を志向するようになっていきます。

その際、ヤノベは「恥ずかしいほどポジティブ」と表現しました。逆に言えば、極端に前向きにならないと、心が折れてしまいそうな状況にあったと言えるでしょう。

 

寄り添う希望のモニュメント

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「福島現代美術ビエンナーレ2012」福島空港、2012年

©2012 Kenji Yanobe

そんな想いの中から生まれたのが《サン・チャイルド》でした。《サン・チャイルド》は、それらの想いが凝縮しているがゆえに、彫刻の原点ともいえる力強さを備えています。巨大な立ち上がる像を見上げるだけで、人々は希望を感じます。《サン・チャイルド》が上を向いて足は踏ん張っているように、人々も上を見上げるのです。極限の中でこそ生まれた彫刻は、意味やメッセージの説明をしなくとも、前向きなパワーを感じると思います。

しかし、2012年に「福島現代美術ビエンナーレ」に出展要請されたヤノベは、逡巡します。前向きなメッセージを持っていても、放射能防護服がデザインされていることに、地元の人々は抵抗感を感じるかもしれないからです。しかし、事務局の資金難を助けるために、当時はまだまだ珍しかったクラウドファンディングによって輸送費を募った際、福島の人々からの支援も多く、後押しされる形で、福島空港に展示することになります。そして、地元の新聞やNHKの国際放送などの取材を受ける中で、福島から発信していくことの重要性を悟ります。

その後、「福島現代美術ビエンナーレ」や「重陽の芸術祭」に継続的に参加し、福島の人々と継続的に交流を図ってきました。そして、福島の地域発電会社内にあるギャラリー・オフグリットで開催された「FUKUSHIMA WORKS」展の際に請われて、最もイメージが凝縮された1/10の構想模型を寄贈したことをきっかけに、1体目の《サン・チャイルド》も福島に寄贈することを決めました。

2011年に福島を想って作り、2012年に福島で展示され、その後、世界・日本各地で展示されてきた《サン・チャイルド》は多くの人々に知られるようになりました。ただ、7年が過ぎ、忘れ去られていく過去に対して記憶を留めることや、未来に対して希望を持ち続けるメッセージが今こそ必要であると考えたからです。

それは、今まで《サン・チャイルド》と旅する中で、力強く立つ巨大な子供像が、前向きで根源的なエネルギーを人々に与えることを改めて実感したからでもあります。最近では、《サン・チャイルド》の衣装も、宇宙服のような近未来のイメージを持つ人々も増えてきており、過去の記憶とともに、人々のイメージが新たな《サン・チャイルド》を作っていくでしょう。

そして、福島の再生をいつまでも見守る、寄り添う存在として、《サン・チャイルド》が人々の希望のモニュメントとなることを願っているのです。

 

忘れない力と繋げる力―《サン・チャイルド》と《フローラ》  

https://www.nttud.co.jp/news/pdf/news_180326_02.pdf

www.hibiya.tokyo-midtown.com

 

ヤノベケンジ作品の大集結

4月26日からグランフロント大阪の5周年記念として、ヤノベケンジの複数の巨大彫刻作品が展示され、同日、東京ミッドタウン日比谷のオープニングイベントとして《フローラ》が展示される。

グランフロント大阪では、《サン・チャイルド》(2011)に加え、90年代の名作《アトム・カー》(1998)、2000年代の代表的シリーズ《青い森の映画館》(2006)、最大サイズの作品、全長8mの《ジャイアント・トらやん》(2005)、人工雷を発生させる《ウルトラ-黒い太陽 》(2008)、2010年代震災後、福島県飯舘村の市民電力会社のために構想された風力発電機《風神の塔》(2015)、そして、最新シリーズである旅をして福を運ぶ巨大猫《シップス・キャット(ブラック)》(2017)という、90年代から2010年代までのヤノベ作品が大集結することになる。

 

他方、日比谷では、鹿鳴館や帝国ホテル、日本劇場、帝国劇場など、日本における西洋化とエンターテインメントを牽引した由緒ある地域で、再び新たな発信源を目指す東京ミッドタウン日比谷のオープニングを記念して、宮本亜門演出による野外劇が行われる。その劇中で巨大少女像である《フローラ》(2015)はシンボルの役割を担う。《フローラ》には、新たな装飾と回転システムが加えられ、巨大な少女が円舞するかつてない演出が行われる。これらのヤノベケンジの代表作が大阪と東京の中心部で展示される意義は大きい。

 

《サン・チャイルド》の歴史

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南茨木駅前の《サン・チャイルド》

(C)2012 Kenji Yanobe

《サン・チャイルド》は、東日本大震災福島第一原発事故を受けて、復興再生の願いを込めて2011年に制作された巨大な子供像である。黄色い放射能防護服を着て、胸にはガイガーカウンターを付け、ヘルメットを左手に抱えている。防護服がかつてないほど頻繁にメディアに登場した時期の作品である。

しかし、ヘルメットは脱がれ、顔に傷を負いながらも逞しく立ち、胸に付けているガイガーカウンターはゼロになっている。つまり、ここで設定されているのは、2011年時点での状況ではない。放射能汚染から安全な大気を取り戻した未来の姿なのである。子供の姿をしているのは、未来を表しているからでもある。

そして、右手に持つ「小さな太陽」は、希望のメタファーでもあるし、原子力ではない、新しいエネルギーのメタファーとも読み取れる。つまり、《サン・チャイルド》は受難(現在)と克服(未来)の二つの意味を持つ像といえる。ヤノベは、2011年に自らと自身が教える学生たちを奮い立たせ、未来に対して前向きで強い希望のメッセージを打ち出すために《サン・チャイルド》を制作したのだ。

ヤノベの90年代の代表作《アトムスーツ・プロジェクト》は、原発事故後のチェルノブイリなどに《アトムスーツ》を着用して探訪するものであった。《アトムスーツ》は、黄色い放射能防護服に眼、生殖器、胸などにガイガーカウンターを取り付け、不可視の放射線を検知する機能を持っており、感覚を拡張する意味合いも込め「放射能感知服」と名付けられていた。しかし、人が住んでいないはずの原発から30k圏内の立入禁止区域で、自主的帰還者の老人、さらに離婚してやむを得ず戻って来た3歳の子供に出会うことになる。

ヤノベは、そこで表現活動に人々を利用したような罪悪感と非情な現実に打ちのめされる。そして、贖罪意識を抱えて未来の危機を警鐘する作品を作るようなる。しかし、3.11によって、自分の生まれ育った国で、同じ過ちが繰り返されることになる。《サン・チャイルド》は自身の警鐘的表現の無力さと、予知的な形で現実になったことへの反省から、希望ある未来を込めるようになった転換期の作品でもある。

また、《サン・チャイルド》は、ミケランジェロダビデ像を参照しており、巨人ゴリアテ相手に戦う、少年ダビデが、左肩に投石袋をかけ、右手に石を持っている姿と重ねてもいる。ダビデは、未来の子供たちであり、石は希望、ゴリアテは巨大なエネルギーを巡る人間の欲望や権力構造ともいえる。また、6.2mという高さや寄木造のような作り方を考えると、ヤノベが尊敬する運慶の金剛力士像ともいえるだろう。つまり、ミケランジェロと運慶という二人の偉大な彫刻家のオマージュにもなっているのだ。

 

ヤノベは、2011年に1体目の《サン・チャイルド》を制作。「太陽の塔」の前や岡本太郎記念館第五福竜丸展示館に展示された。1体目の手の太陽の形は、自身の創作の原点の場ともいえる「太陽の塔」の顔が参照されている。岡本太郎の「太陽の塔」や「明日の神話」の精神を引き継ごうという意思の表れでもある。

2体目も2011年に制作され、ロシアやイスラエルの美術館、あいちトリエンナーレなどにも出品された。2体目の手の太陽の形は、チェルノブイリの廃墟の保育園の壁に描かれていた太陽が参照されている。
2012年に制作された3対目は、南茨木駅前のロータリーに恒久設置され、パブリックアートとなった。

1体目の《サン・チャイルド》は、2012年の福島現代美術ビエンナーレに招聘され、資金難の事務局を支援するために、独自システムでクラウドファンディングを行い輸送費を調達。約180人のサポーターに、謝礼として1枚ずつドローイングを描いて郵送している。

ヤノベは、震災・原発事故間もない福島に展示することは、市民感情を傷つけるのではないかと懸念したが、福島の人々を含む多くのサポーターが現れたことで、《サン・チャイルド》がよりパブリックなものになっていく過程を体験することになった。そして、福島で開催されたヤノベの展覧会「FUKUSHIMA WORKS」(ギャラリー・オフグリッド)を機に、《サン・チャイルド》の雛形となった1/10のプロトタイプが地元団体の要望を受け寄贈された。後に1体目の《サン・チャイルド 》も、地元から自然エネルギーを作るというふくしま自然エネルギー基金の志に共感したヤノベの申し出によって寄贈されることになった。

 

《サン・チャイルド》は、世界と日本各地を巡回しており、プロジェクトは放射能の不安がなくなった世界が訪れるまで何らかの形で継続される。震災から5年が過ぎ、6年目を迎え、そろそろ人々の記憶や関心も薄まり始めている。忘却した方がいい記憶は多い。しかし、忘却してはならない社会的な記憶は必ずある。悲劇的な出来事や過ちなどはその例であろう。

《サン・チャイルド》は、展示を継続することで、忘れそうになる社会の記憶を蘇らせる効果がある。都心部の多くの人々が目にする場所に置かれることによる効果はさらに大きいといえる。そういう意味では、ヤノベは人々の記憶を彫刻し続けているといえるのかもしれない。

 

《フローラ》の歴史

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初代《サン・シスター》(2014)
(C)2014 Kenji Yanobe

 

《フローラ》は、《サン・チャイルド》の姉のような存在として作られた《サン・シスター》の衣装が変わった姿である。姉というのは、《サン・チャイルド》よりも成長した姿で、放射能防護服などは来ておらず、希望の世界の到来を告げる少女像ということである。

初代《サン・シスター》は、座りながら希望ある未来を思い描いて瞑想し、立ち上がるとともに、眼を開けて手を拡げ、希望の世界の到来を告げる。その後2015年、阪神淡路大震災20年のモニュメントとして、右手に輝く太陽を持った同名の立像《サン・シスター》が制作され、兵庫県立美術館前に恒久設置された。

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兵庫県立美術館前の《サン・シスター》(2015)
(C)2014 Kenji Yanobe

一方、初代《サン・シスター》は、2015年、琳派400年祭に合わせて京都府立植物園で開催された「PANTHEON-神々の饗宴―」で、アーティスト・アートディレクターの増田セバスチャンとコラボレーションして新たな装飾が加えられ、生態系を象徴する姿として、花の女神《フローラ》に生まれ変わった。また、左側には、人工雷発生装置テスラコイルを内蔵した、《ウルトラー黒い太陽》を《雷神ー黒い太陽》として設置し、右側には、飯舘村の市民電力会社のために構想した《IITATE Monster Tower》を、《風神の塔》として設置した。

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《フローラ》(2015)
(C)2015 Kenji Yanobe

 

つまり、琳派継承のシンボル的作品である『風神雷神図』を立体化するという試みであった。中央に置かれた《フローラ》は、元々、琳派の始祖的存在でもある俵屋宗達三十三間堂の「風神・雷神像」を参考にしたという説から、中央の金箔の余白は、1000体もの観音像の後光の隠喩と捉え、隠された観音像を立体化するという意図もあった。

三十三間堂は、慶派・円派・院派など、当時一流の仏師集団が参加しており、日本彫刻史の中でも最高峰の作品群でもある。つまり、琳派の平面絵画を立体にするというだけではなく、琳派を通じて慶派などにもつながる作品として展開されたのだ。その後、《フローラ》もまた、福島や高松などでも展示され好評を得る。

今回は、文明開化のシンボルであった「鹿鳴館に憧れる少女」という、宮本亜門氏のインスピレーションを受け、「日比谷から文明が開花する」という意味と、「新たな希望に目覚める」という想いが《フローラ》に込められ、再び新たな装飾をまとう。

 

 「フローラ」は、ローマ神話の女神の名前でもあり、ヤノベはボッティチェリの《プリマヴェーラ》に描かれたフローラを参照している。ギリシア神話の樹木のニンフ(精霊)のクロ―リスは、西風の神ゼピュロスにさらわれて結婚し、花と春を司る女神となったとされており、ローマ神話に登場する花の女神フローラと同一視されている。ボッティチェリの《プリマヴェーラ》は、古代ローマの詩人オウィディウスの『祭暦』に記されているこの物語の影響を受けている。

精霊クロ―リスが女神フローラになる物語は、西洋列強(西風)によって開国(開花)を迫られた日本が、先進国(神)の仲間入りをした歴史に重なっていることが興味深い。西洋化、近代化に飲み込まれそうになった日本が、急速に西洋化、近代化を進め、西洋列強と渡り合った時代から、科学文明やグローバリズムと環境の相克を経て、持続可能な時代に向けて開花する希望が、ヤノベが新たな《フローラ》に込めたメッセージとなっているのだ。

ヤノベケンジ《SHIP’S CAT(シップス・キャット)》

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ヤノベケンジ《SHIP'S CAT》(2017)

高さ300センチ×長さ380センチ×幅120センチ、2017年6月設置
材質:ステンレススティール、真鍮、繊維強化プラスチック(FRP)、アクリル、LEDライト

 撮影:表恒匡

ヤノベケンジと猫

ヤノベケンジの作品には、たくさんの動物が登場する。初期の作品である《イエロー・スーツ》(1991)では、当時飼っていた犬のための放射能防護服が作られている。世紀末や終末の世界を生き抜くための心の友としてペットは必要であるという認識だったのだろう。

子供が誕生した後は、子供のためのシェルター型映画館《森の映画館》(2004)なども制作しているが、それ以降もネズミ、ゾウ、絶滅した動物であるマンモス、架空の動物である龍もよく登場する。なかでも、現在でもインスタレーションによく使われるのが猫である。2008年にパフォーマンス集団パパ・タラフマラの舞台美術を担当した際に制作された《猫人形》(2008)が最初に猫をモチーフにした作品である。ヘルメットを被り、目がライトになっている猫の彫刻作品は、その汎用性の高さのため、その後、様々な場所で展開されるインスタレーションに欠かせない重要なキャラクターとなっていく。

特に、印象的なインタレーションとして、2010年に富山県入善町発電所美術館で開催された「ミュトス」展において、創世記の神話をなぞるような4期の構成を作り、序章と1章「放電」に猫の彫刻作品《ランプ猫》(2010)を登場させている。廃墟の中を佇み目が光る猫と、巨大な幻燈機(マジック・ランタン)、放電装置(テスラコイル)が物語の始まりや不穏な空気を醸し出している。2章「放電」で大規模な水瓶の水を大量に放水するインスタレーションが行われ、3章「虹のふもとに」で虹が出現するのであるが、猫はその後の破壊と救いを予兆しているようにも思える。

また、2012年に都立第五福竜丸展示館で行われた「第五福竜丸からラッキードラゴンへ」展では、《トらやん》(2004)などと一緒に、甲板に《ランプ猫》などを置いて構成している。もしそれを見たら、「SHIP’S CAT」を連想する方もいるかもしれない。

 

船に乗り旅する猫「SHIP’S CAT」

「SHIP’S CAT(シップス・キャット)」とは、大航海時代にネズミから貨物や船を守り、疫病を防ぎ、時に船員の心を癒す友として世界中を旅した猫のことである。もともとはネズミ退治が目的であったわけだが、猫の持つ愛らしさによってマスコットになったり、危機察知能力があるとされ、守り神のようにも扱われたりしている。

第五福竜丸の上に乗る、防護ヘルメットや潜水ヘルメットをしているように見える猫の作品は、第五福竜丸の忌まわしき運命の追悼のようにも、新たな旅たちのための道案内のようにも思える。第五福竜丸の新たな旅たち、つまり人類のこれかの行く末を見守る存在として、ヤノベが猫に託したイメージは大きい。

また、猫ではないものの、神戸・高松と小豆島を結ぶ連絡船ジャンボ・フェリーの甲板に、ヤノベ作品の代表的キャラクターである「トらやん」の巨大彫刻作品《ジャンボ・トらやん》(2013)を設置している。「トらやん」はもともとタイガースファンであった、ヤノベの父の腹話術人形からヒントを得た作品であるが、黄色と黒の防護服を着ていることもあり、トら=虎をモチーフにしているともいえる。江戸時代末期まで日本には虎が直接入ってきておらず、猫を参考に虎を制作してきた日本の伝統から言えば、《ジャンボ・トらやん》も一種のSHIP’S CAT」であろう。箱舟に見立てられたフェリーは、《ジャンボ・トらやん》の操縦によって、希望の島である小豆島に導かれるのである。

 

博多と次世代の「SHIP’S CAT」

今回、ヤノベは猫の作品の系譜を「SHIP’S CAT」のイメージに集約させている。福岡県の博多にあるホステル「WeBase」のために制作された巨大猫の彫刻作品《SHIP’S CAT》(2017)は、博多という土地が日本最古の湊(港)のあった場所であり、船旅の拠点であったことに着想を得ている。

もともと古代エジプトで繁栄した猫が世界中に伝播した原因も、ネズミ退治のために船に乗せられた猫が世界中の港に降り立ったことに起因している。日本にも弥生時代から猫がいたことが確認されているが、その後も遣隋使や遣唐使の時代に仏教経典などをネズミから守るために船に同乗して日本列島にたどり着いた多くの猫は、博多を起点に日本中に広まった可能性は高い。そして、同時に博多から猫は世界に旅立っていったのだろう。

つまり、博多と同じように、猫は旅や冒険の遺伝子を引き継いでいるのである。現在においても、飼われていると同時に、野生性を失っておらず、不思議なインスピレーションを人間に与え続けている。そのような猫の持つ親和性と神秘性という両義的な魅力を備え、そして旅を象徴する作品として《SHIP’S CAT》は構想された。

幸運を呼ぶとされる巨大な白猫は、建物の中から這い出るポーズをし、今にも外界に飛び出ようとしている。そして、ランプにもなるヘルメットが周囲を照らし、宇宙服や潜水服のようなものを身に着けている。そこには、未来の希望を予兆し、旅の安全を守るための道案内や人生の出会いを導く守り神となり、若者の旅を後押ししたいというメッセージが込められている。

それは、多くの旅人を迎え、「人生の旅」の英気を養うホステルのシンボルであると同時に、最古の港の遺伝子を引き継き、世界のハブ都市となる博多のモニュメントとなるよう願いを込めて作られた次世代の「SHIP’S CAT」なのである。

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矢延平六とは誰か?—8/7ヤノベケンジ×矢延平六 リサーチプロジェクト「シネマタイズ展関連イベント」@高松市美術館

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www.city.takamatsu.kagawa.jp

8月7日(日)15:30~16:30まで、ヤノベケンジ展「シネマタイズ」の関連イベントであるヤノベケンジ×矢延平六 リサーチプロジェクトが開催されます。

ヤノベケンジ展「シネマタイズ」では、1部と2部とに分かれ、現実と虚構の「映画化」がテーマになっています。1部では現実、2部では虚構とパートに分かれて展示され、1部ではヤノベケンジの今までの作品が再編されています。


そして、2部では虚構がテーマとなり、映画セットが組まれています。長いトンネルを超えると、巨大プールに水が張られ、水を汲み取り吐き出す《風神の塔》やプラズマ(雷)発生装置である《ウルトラー黒い太陽》など、ヤノベ作品と混然一体となった映画セットは前代未聞の試みとして注目を浴びています。会期中には、林海象監督、永瀬正敏主演によるSF映画『BOLT』が実際に撮影されることも話題になっています。

 

その中で関連企画であるリサーチプロジェクトは、何の説明もなく「矢延平六」という人物名が出てきており、謎に思った方もいるかもしれません。矢延平六とは、ヤノベケンジ父親?親戚?少なくとも血縁関係であると思うでしょう。

 

しかし、ここには恐るべき「アナザーストーリー」が含まれているのです。高松のある香川は皆さんもご存知のように、降水量が少なく、大きな川がないため、水田開発には苦労してきました。だから、香川各地にため池が作られており、もっとも巨大なため池である満濃池を作った空海をはじめ、ため池を作った土木技術者は、香川県の恩人として尊敬されてきているのです。

 

その功績者は主に以下の5人であり、香川県のHPでも紹介されています。

空海弘法大師) 
西嶋八兵衛(にしじまはちべえ)
平田与一左衛門(ひらたよいちざえもん)
矢延平六(やのべへいろく)
太田伊左衛門(おおたいざえもん)典徳

ため池について - 改修と築造|かがわの農業農村整備

 

ここ記載されている土木技術者、矢延平六についてHPから抜粋します。

松平頼重は、赴任早々400箇所を越えるため池の築造を命じ、これに矢延平六が深く関わったといわれている。~中略~
平六は「新池」築造の恩人として池の宮に祭られ「ひょうげ祭」の主人公となっているほか、県中部の丸亀市飯山町でも貯水量が100万トンを超える「仁池」築造の恩人として、池のほとりに建立された飛渡神社に祭神として祭られている。平六は武士といいながら、現場の第一線で農民達と汗を流すタイプの技術者で、農民達に広く慕われていたことが伺える。~中略~

新池が完成して豊かな稔りを迎えたとき、地元農民は、歓喜し平六を尊敬すること領主のごとくと伝えられえているが一方で、この巨大なため池はその位置から下流の高松城を水攻めにせんがためとの戯言が広まり、平六は裸馬に乗せられ隣の阿波国へ追放された。~中略~

彼が築造に関係したと考えられる池は、高松市香川町の新池、丸亀市飯山町の仁池、楠見池、牟礼町の王墓池をはじめとして名のある池だけでも100余に上ったというが、頼重公の時代に406の池が築かれ、そのうちの多くは平六が関係したとも言われることからその業績は偉大である。

 

ため池について - 矢延平六|かがわの農業農村整備

 

松平 頼重(まつだいら よりしげ)とは、高松藩の初代藩主です。
(江戸時代前期の大名。常陸下館藩主、のち讃岐高松藩初代藩主。水戸藩初代藩主徳川頼房の長子で、"水戸黄門"こと2代藩主徳川光圀の同母兄。)

松平頼重 - Wikipedia

 

つまり、江戸時代初期のため池のほとんどに矢延平六が関わっているのです。そして、毎年、新池では秋に「ひょうげ祭り」(ひょうきん)が開催され、飛渡神社の祭神となった平六を祀っているのです。周辺地域の人々は、平六が築造した新池によって、田んぼを耕せることと、無実の罪をきせられた平六へ感謝していることがばれないように、ひょうきんな格好と化粧をして練り歩く伝統になっています。そして、最後には御神輿を担いで、新池に飛び込むことで、クライマックスを迎えます。「ひょうげ祭り」は、NHK新日本風土記「讃岐」の回でも紹介されています。

新日本風土記

 

すでに皆さんももしや?と思ったかもしれませんが、ヤノベケンジの本名は矢延憲司として知られています。矢延姓というのはそれほど多くなく、岡山あたりが出身地だと言われています。一説には矢延平六の先祖も岡山あたりから来たと言われており(頼重に従って常陸の国から来訪したとも言われる)、ヤノベケンジの先祖と深い関わりがある可能性があるのです。

 

今年の2月、ヤノベケンジは、矢延平六が築造した新池に行き、それを確かめに行きました。そこで見たのは驚くべき風景で、新池は現在、日本最大のフロート型の太陽光発電ができるため池へと変貌しつつあったのです。それは、高松が日照量が多く、巨大なため池があるという条件が揃っているからでもあります。その条件を満たしたのは、他でもなく矢延平六だったのです。


自身が今回展覧会で、美術館にため池を作り、新しい発電をテーマにしていることが、高松の地で矢延平六をきっかけにつながり、運命の出会いを感じたのでした。

 

このリサーチプロジェクトには、まさにタイムトリップし、現実と虚構が複雑に絡み合うストーリーがあるといってよいでしょう。そして今回のもう一人の講師には、長年、矢延平六を研究している地元の彫刻家、南正邦さんを迎え、さらに深い謎解きが行われる予定です。是非ご期待ください。

 

ヤノベケンジ展「CINEMATIZE シネマタイズ」概説

現実と虚構を「シネマタイズ」するアート

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 映画『BOLT』(パイロット版)撮影風景 MASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)にて

ヤノベケンジ展「CINEMATIZE(シネマタイズ)」
2016年7月16日(土)~ 9月4日(日)
高松市美術館

http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/museum/takamatsu/contact/pdf/press/01.pdf

近年のヤノベ作品と展示

ヤノベケンジ高松市美術館で、久しぶりに個展形式で展覧会を行います。ヤノベケンジの近年の作品展示は、ほとんどが美術館ではない場所で行われてきました。

 

昨年、琳派400年記念祭の一環として開催された、京都府立植物園の展覧会「PANTHEON—神々の饗宴—」では、植物園内の温室前にある人工池に増田セバスチャンとの共作である《フローラ》、両脇に《風神の塔》、《雷神—黒い太陽》という、巨大な三体の立体作品が、夏から秋にかけて3ヶ月間展示されました。

 

また、大阪の水辺で開催された「水都大阪2015」では、「水都大阪2009」でお目見えした、船舶に乗った龍の作品《ラッキードラゴン》が、水路を廻りながら水を噴き上げ大いに観客を沸かせました。

 

さらに、兵庫県立美術館の南側、海岸沿いに阪神・淡路大震災20年のモニュメントとして、《サン・シスター》が常設展示されました。全身ステンレスで覆われた全長6メートルの巨大少女像が、南を向いて光を反射させながら、過去に思いをはせ、未来を見続けています。《サン・シスター》は、東日本大震災復興の祈りを込めた希望のモニュメント、《サン・チャイルド》のお姉さん的な位置づけです。《サン・チャイルド》は、高松市美術館でも展示され、大阪南茨木市の常設展示のほか、東京、福島、愛知、岡山、イスラエル、ロシアなど、世界中を巡回し続けています。

 

本年2016年は、「瀬戸内国際芸術祭2016」が開催されており、前回2013年に小豆島で展示したミラーボール作品《スター・アンガー》やビートたけしさんとの共作《アンガー・フロム・ザ・ボトム》、さらに、小豆島―神戸、高松間を結ぶ連絡船「ジャンボフェリー」甲板には、《ジャンボ・トらやん》が継続して展示されています。

 

特に《アンガー・フロム・ザ・ボトム》は、古井戸の化け物になった神様のオブジェでしたが、地元神社の神主や巫女の祭礼により、新たに水神として祀られるようになりました。さらに、地域有志の浄財によって、建築集団ドットアーキテクツ設計の伸縮型の神明造の社が新たに建てられ、美井戸(ビート)神社として信仰の対象になっています。

 

ヤノベは、このように地域の歴史や人々と作品をシンクロさせながら、独自の世界観を挿入することを行ってきました。展示場所は屋外が多いため、作品は巨大化し、堅牢になっていっています。つまり内容面も物質面も強度が増しているといえます。

 

ヤノベケンジの展示手法

このようなヤノベケンジの展示手法については、これまであまり語られてきませんでした。しかし、今回、高松市美術館で開催される個展「CINEMATAIZE シネマタイズ」では、ヤノベケンジの展示手法、空間演出手法が初めて正面からテーマになって展覧会であるといえます。

 

「CINEMATAIZE」とは、「映画化する」を意味する動詞です。ヤノベケンジは今まで、現実や日常に、巨大な作品を持ち込むことで、映画のような虚構(フィクション)や物語のワンシーンのように劇的に変容させる、ということを行ってきました。展覧会では、そのことを「CINEMATAIZE シネマタイズ」と捉え、ヤノベケンジの今までの作品制作の歴史が再編されます。

 

例えば、《ラッキードラゴン》のように、船舶に乗った龍が、火焔や水を噴いたりするのをたまたま見かければ、どのようなアトラクションやイベントが始まったのかと思うでしょう。特に個性の強い造形物なので、背景に特定の物語があったり、映画撮影が行われているのかと思ったりする人々もいると思います。

 

その時、現実が虚構的で演出的な空間に変容します。予め用意されたシナリオによって、現実が虚構に変わるのではなく、ヤノベケンジの立体作品によって変容していくのです。それはある種の「ハプニング」と言え、偶然の出会いによって観客それぞれの心に起こる物語といえるでしょう。

 

しかし、それらのハプニングや発生した物語が、現実を大きく変えてしまう場合もあります。《アンガー・フロム・ザ・ボトム》や《スター・アンガー》は瀬戸内国際芸術祭会期中だけの仮設展示だったのが、人々を巻き込み、愛されることで、常設展示となって町のシンボルになっています。それはヤノベ作品が持つ物語性が、多くの人に波及している証拠ではないでしょうか。

 

「シネマタイズ」される美術館

美術館の展示においても、予定調和的な「美術館の日常」を変えるものが多くあります。例えば、「あいちトリエンナーレ2013」では、教会の作品《太陽の教会》を制作し、実際の結婚式が開催されまた。

 

さらに、2010年の発電所美術館(富山)では、水力発電所跡の美術館という特徴を利用して、巨大な水瓶を作り、9トンもの水を放水しています。あるいは、豊田市美術館では、巨大ロボット《ジャイアント・トらやん》が火を噴いたり、人工雷発生装置テスラコイルを使った作品《黒い太陽》を制作し、放電を行っています。たいていの美術館では禁止されるようなことを行ってきています。

 

今回開催される「CINEMATAIZE シネマタイズ」展では、一室全体に巨大プールやトンネル、廻廊が設営され、ヤノベ作品と組み合わせた巨大インスタレーションが設置されます。それが同時に映画スタジオとなります。そこでは、会期中に林海象監督、永瀬正敏主演の映画『BOLT』が公開撮影される予定です。

 

「CINEMATAIZE シネマタイズ」展は、第一部では、過去の作品とドキュメンタリー映像によって、ヤノベ作品が現実を「シネマタイズ」してきた歴史を追う「Cinematized Reality」、第二部では、映画美術となったヤノベ作品でSF映画を撮影する林海象永瀬正敏とのコラボレーション展示「Cinematized Fiction」が展示されます。そこでは、ヤノベ作品との出会いによって、ヤノベの物語(創作ヒストリー)を発見すると同時に、観客が自身の物語を生み出す要素と、ヤノベ作品が映画美術となってその世界観が映画化されるという要素が重層的に存在しています。

 

第一部では、デビュー作《タンキング・マシーン》から始まり、《アトムスーツ》や《トらやん》などの代表作が勢ぞろいし、毎度制作される映画的な演出の予告映像やドキュメンタリー映像などによって、ヤノベ作品によって「シネマタイズ」された現実が明らかになります。第二部では、撮影セットと混然一体となったヤノベ作品が、今までとは違った虚構的空間を展開されます。しかし、それらは時に交錯し、現実が虚構に、虚構が現実に相互干渉しながら、新たな物語を紡いでいくでしょう。

 


ヤノベケンジ「シネマタイズ」展 特報1

 

参考文献

 

ヤノベケンジ ULTRA

ヤノベケンジ ULTRA

 

 

新装版 ヤノベケンジ作品集 YANOBE KENJI 1969-2005

新装版 ヤノベケンジ作品集 YANOBE KENJI 1969-2005

 

 

「FUKUSHIMA SPEAKS アートで伝え考える 福島の今、これからの未来」展@京都造形芸術大学ギャルリ・オーブ

明日から開催される、福島の復興とアートをテーマにした展覧会、「FUKUSHIMA SPEAKS アートで伝え考える 福島の今、これからの未来」展のクロストークにヤノベさんも登壇いたします。福島ビエンナーレを含めて、震災前からアートを通じて継続的に福島と関わってきたヤノベさんの経験が語られると思います。ご関心のある方は是非、ご観覧ください。

以下、HPより。

aube.kyoto-art.ac.jp

 

東日本大震災東京電力福島第一原発事故の後、文化芸術の力による福島の復興を目指して、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトは始まりました。
これは、福島県立博物館が事務局を務め、福島県内の大学・文化施設NPO等との連携により2012年から実施しているアートプロジェクトです。

本展覧会は、この活動から生まれた美術作品をとおして、復興に向かう福島の姿を伝え、広く共有すべき問題を共に考えようとするものです。
本展が、京都をはじめとする関西圏と福島の文化交流のきっかけとなることを願います。

会期:2016年1月22日(金)〜1月31日(日)
時間:11:00〜18:00
※会期中無休、入場無料
主催:京都造形芸術大学、 はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会
www.hamanakaaizu.jp

◆出品作家◆
岡部昌生(美術家)
片桐功敦(華道家
赤阪友昭(写真家)
安田佐智種(美術家)
本郷毅史(写真家)

◆関連イベント◆
クロストーク1「福島の記憶の記録」
1月22日(金) 18:00-19:30
岡部昌生(美術家)× 川延安直(福島県立博物館 学芸員

クロストーク2「原発30km圏内に咲く花たちの言葉」
1月23日(土) 14:00-15:30
片桐功敦(華道家)× 二上文彦(南相馬市博物館 学芸員

クロストーク3「福島の奥へ」
1月24日(日) 14:00-16:00
赤阪友昭(写真家)× 本郷毅史(写真家)×片桐功敦(華道家

クロストーク4「原発30km圏内に咲く花たちの言葉」
1月30日(土) 14:00-15:30
片桐功敦(華道家)× 服部滋樹(クリエイティブディレクター)

クロストーク5「福島後 〜表現者にとっての3.11〜」
1月31日(日) 14:00-16:00
やなぎみわ(美術家)× ヤノベケンジ(美術家)× 村山修二郎(美術家)
モデレーター:川延安直(福島県立博物館 学芸員

●ギャラリートーク
1月22日(金) 11:00-12:00、15:00~16:00
川延安直(福島県立博物館 学芸員